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平将門 迷走ルート
モノローグ
平氏は四平氏に分かれており、将門はその中の桓武平氏(桓武天皇より発する)として下総に誕生した。
十代の頃、父の良将の死により、下総の新しい領主となるが、勉学と修行に精を出すため京都の左大臣藤原忠平の家人となった。
やがて任期を終えた将門は下総に戻るが、将門の留守中に、領地の管理を任せていた伯父、国香に領地の多くを騙し取られていることが判明した。
そして、伯父たちは将門の苦情も相談も取りあげず、一族の中で将門を除け者扱いにしたのである。
これをきっかけに、祖父高望王の遺産分配を巡り醜い親族の殺し合いが展開してゆく。
将門の恨みの元凶となった伯父国香はやがて将門に殺害されるのだが、国香の長男貞盛は、原因は父や叔父たちにあるとして、将門に同情した。
また、当時の朝廷の重い年貢取り立てに対抗する将門は大いに期待され、庶民に人気が高かった。
しかし、朝廷は、自らを新皇と名乗り勢力を拡大していく将門をもはや放ってはおけず、貞盛と藤原秀郷らを追討の職に命じた。
ゆえに将門は朝廷に反旗をひるがえす賊軍となって各地を逃走してゆく。
その場所場所に於いて数々の伝説を残し今日に至っているのである。
ここ丹波山村にも、ひそかに将門の軌跡の語られる場所が数多く残っている。
さあ、これからあなたを将門の辿った迷走の旅路にご案内いたしましょう。
山梨県 丹波山村
Canon EOS Kiss X7 EF-S24mm f/2.8 STM 24mm(38mm) ISO 100 F5.6 1/125s
[GPS]
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平将門 迷走ルート
将門、丹波山に来たる 1/10
小菅村より獅子倉山(鹿倉山)に逃れた将門主従は大丹波峠を越え丹波山領内に入り、奥秋にたどりついた。
ここで東走するか、西走するか主従で相談の結果、やはり将門の故郷を目指すこととなり、進路を東にとった。
丹波に入って間もなく何等かの事情で家臣の中に奥秋の地に残った者がいたようだ。
そして、後の将門の死を知ってこの地に住み着き、将門を祀って崇拝したものと考えられる。
今も奥秋地区の木下修一氏の敷地の杉林の中には将門様をお祭りしている祠がある。
将門一行は、進路を東に故郷下総を目指し丹波の山中に再び足を踏み入れた。
参考・引用 たばやまの創作民話と将門伝説より
山梨県 丹波山村
Canon EOS Kiss X7 EF-S24mm f/2.8 STM 24mm(38mm) ISO 100 F5.6 1/125s
[GPS]
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平将門 迷走ルート
お祭と鴨沢の福寿寺来 2/10
丹波川の岸上に所在する呑竜神社には、立派な神楽堂が境内にあった。
此処まで逃げてくれば追手も無いであろうと、主従共々、久々に寛ぐことにした。
そして、三日三晩、盛大な酒宴を繰り広げ、地域の人々まで巻き込んで祭り騒ぎに明け暮れた。
丹波山村の「お祭」という地名はこうして残ったと言われている。
呑竜神社は小河内貯水池建設と共に移転され、面影はなくなっているが、社はお祭上方に祀られている。
この酒宴を催している間に将門の妻の紫の前は疲れも激しく一時だけでも休養を取るためにここ鴨沢にある広徳山福寿寺に身を潜めて静養したという。
酒宴の最中、密者の知らせで追手が近づきつつあることがわかり宴を打ち切りこの寺を後にした。
参考・引用 たばやまの創作民話と将門伝説より
山梨県 丹波山村
Canon EOS Kiss X7 EF-S24mm f/2.8 STM 24mm(38mm) ISO 100 F5.0 1/60s
[GPS]
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平将門 迷走ルート
釜場タワ 3/10
ここに立った将門は、四方の見晴らしの素晴らしいのが気に入り、ここで見張りをたてて食事の支度を始めた。
小石を集めてカマドを作り、火を燃やして釜をかけ飯を炊いた。
小石で積み上げて作ったカマドは将門が出発した後、真っ白な石灰岩の釜場に化身していた。
後にここを 釜場 と呼ぶようになった。
参考・引用 たばやまの創作民話と将門伝説より
山梨県 丹波山村
Canon EOS Kiss X7 EF-S24mm f/2.8 STM 24mm(38mm) ISO 400 F5.0 1/60s
[GPS]
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平将門 迷走ルート
小袖 4/10
将門一行は右眼下の清流が目に入ったので川に下り、清流で身も心も綺麗に洗い清めた。
天気も良く、一行は着衣を脱いで選択した。
勿論小袖も脱いで洗い干した。
こうして寛ぎながら楽しんでいたのも束の間、突然、夕立が襲ってきた。
大慌てで見繕いをしたのであろう。
将門は小袖を着ないまま、その場に忘れていってしまった。
この川と土地の名前の由来である。
参考・引用 たばやまの創作民話と将門伝説より
山梨県 丹波山村
Canon EOS Kiss X7 EF-S24mm f/2.8 STM 24mm(38mm) ISO 800 F5.0 1/60s
[GPS]
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平将門 迷走ルート
茶煮場 5/10
小袖側での激しい夕立に会い休憩もままならず身支度もそこそこにして七ツ石山方面に向かって将門は斜面を登った。
此処まで来た将門一行は、喉も乾いたので、この平らな場所で休憩し、湯を沸かしお茶を入れて飲み、喉を潤したと言われている。
一行は再び七ツ石山を目指して登り続けた。
参考・引用 たばやまの創作民話と将門伝説より
山梨県 丹波山村
Canon EOS Kiss X7 EF-S24mm f/2.8 STM 24mm(38mm) ISO 160 F2.8 1/30s
[GPS]
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平将門 迷走ルート
風呂岩 6/10
秀郷、貞盛勢の追手もない様子が知らされ安心した将門はこの平らな場所で湯を沸かし、風呂に浸かり、疲れをいやした。
いざ出発にあたり、風呂の縁周りを壊して風呂を沸かした様子を敵にわからないようにして出発した。
打ち壊した形そのままが岩に化身し、今日に至っている。
話の通り、如何にも壊された風呂の形に見える。
後に誰言うこともなく、「風呂岩」と呼ぶようになった。
参考・引用 たばやまの創作民話と将門伝説より
山梨県 丹波山村
Canon EOS Kiss X7 EF-S24mm f/2.8 STM 24mm(38mm) ISO 1000 F5.0 1/60s
[GPS]
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平将門 迷走ルート
堂所 7/10
将門一行は風呂で充分疲れをとって再び七ツ石山目指して登った。
すると素晴らしく見晴らしの良い平らな場所があったので、休息することにした。
将門も、鎧、冑をはじめ、胴まで脱ぎ雑木の大木の根本に置いて休んだ。
この将門の胴を置いたところから、「胴所」と呼ぶようになった。
ところがさらに上を目指そうとする一行に、突如悲劇がおこったのである。
参考・引用 たばやまの創作民話と将門伝説より
山梨県 丹波山村
Canon EOS Kiss X7 EF-S24mm f/2.8 STM 24mm(38mm) ISO 320 F5.0 1/60s
[GPS]
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平将門 迷走ルート
紫久保 8/10
将門の妻として苦楽を共にしここまで来た紫の前が突如、腰前に差していた短刀を抜くや否や、喉めがけてつき刺して自害したのである。
紫の前も、長い間の敗走生活で身も心も疲れ果てていたのだろう。
これ以上、将門の足手まといにはなりたくないという心使いからか将門の将来を考えてのことか予想もできない出来事であった。
将門は紫の前の死に消沈している暇もなく、七ツ石神社を目指すしかもう道はなかった。
参考・引用 たばやまの創作民話と将門伝説より
山梨県 丹波山村
Canon EOS Kiss X7 EF-S24mm f/2.8 STM 24mm(38mm) ISO 500 F5.0 1/60s
[GPS]
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平将門 迷走ルート
七ツ石神社と七ツ石山 9/10
将門はここ七ツ石神社に祈願して祭神である『天児屋根命、日本武尊命』を守り神として戴き、最後の祈願をしながら武蔵の国へ向かった。
一行は修験者道を辿り、七ツ石山頂から一路、天祖山を目指すのである。
一説には、将門の影武者七人衆、興世王、藤原玄茂、藤原玄明、多治経明、坂上遂高、平将頼(将門の弟・次男)、平将武(将門の弟・五男)の藁人形を作り、この地に秀郷、貞盛勢をにらみつけるように並べた。
この中の両側から数えて四番目が将門に間違いなしと信じた秀郷は強弓に矢をつがえて射った。
矢は狙い違わずその影武者人形の胸板を見事に射抜いたが、その途端、七体の人形は大きな七つの岩石に化身してしまったという。
参考・引用 たばやまの創作民話と将門伝説より
山梨県 丹波山村
Canon EOS Kiss X7 EF-S24mm f/2.8 STM 24mm(38mm) ISO 100 F8.0 1/250s
[GPS]
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平将門 迷走ルート
大血川の悲劇 10/10
これより将門一行は、天祖山を目指した。
さらに裏側へ回り大血川(埼玉県・秩父市)へと下り進んだ。
だが、此処まで来た将門にとって、再び重大悲劇が起こる事など誰も予想できはしなかっただろう。
逃亡の日々では食料等は事欠く。
そして心身の疲れか、九十九人のお妃達が一斉に自害してしまったのである。
お妃達のその血潮は七日七夜にわたり川を赤く染めたという。
やがてそこを大血川と呼ぶようになった。
この九十九人とは「もはやこれまで」と覚悟を決めた将門の家臣たちとも言い伝えがある。
その時の髪の毛が抜け落ちて恨みとともに流れ流れて、大血川の川海苔に化身したという。
参考・引用 たばやまの創作民話と将門伝説より
山梨県 丹波山村
Canon EOS Kiss X7 EF-S24mm f/2.8 STM 24mm(38mm) ISO 125 F5.0 1/60s
[GPS]
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平将門 迷走ルート
エピローグ
将門の消沈は隠し切れないものがあったが勇気を奮って大血川を後にした。
日原に下り、峰畑地内へ、さらに日原川沿い、多摩川沿いに東へ下り、棚沢地区、梅郷から養沢鍾乳洞付近を通り抜けて青梅の金剛寺に立ち寄った。
『我が事、成るならこの梅栄よ、我が事成らぬならこの梅かれよ。』と言い残し、この出来事が「青梅」の由来とされる。
将門は逃げる最中でも庶民とのふれあいを大切にしたので、地域の人々に愛され、家臣がその地に残り、将門神社を建立したと言われている。
将門が青梅を立ち去ったあとの一行の消息は途絶えているが、結局、将門の故郷である茨城県岩井の地域まで追い詰められて、秀郷、貞盛勢らにより主従共々敗死のやむなきに至った。
九三九年、下総猿島に都城を建て自らを『新皇』と称して関東の豪族と争った将門の運はつき、敗死の憂き目にあった。
時に、将門は、働き盛りの僅か三八歳の若さだった。
山梨県 丹波山村
Canon EOS Kiss X7 EF-S24mm f/2.8 STM 24mm(38mm) ISO 125 F5.0 1/60s
[GPS]
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